2010年06月09日
面白い試合の定義
観ていて面白いと思う試合と、そうでないとが当然あります。
たとえ、それが初戦であろうが面白い試合というものはあるし、
逆にいくら決勝戦でもどうにも飽きてしまう試合もあります。
では、一体どういう基準で人はその試合を面白いと感じるのか。
今日はそれについて少し考えてみたいと思います。
まず、面白いとはどういうことなのか。
第一に、この点において大きな個人差が生じてくることでしょう。
今回は、何度でも観たいと思える試合ということにしましょう。
そう言われて思いつくのはどのような試合でしょう。
競った試合でしょうか、それとも大逆転した試合でしょうか。
一般的に競った試合というのは面白いと感じると思います。
デュースの連続、サービスキープ、フルセット、タイブレーク・・・
しかし、この面白さは最初だからこそ感じるものだと思います。
確かに競った試合というのはお互いにいいプレーが続いていて、
あるいは驚くようなショットが観られるのは事実だと思います。
ただ、もしその試合の結果を知っているとしたらどうでしょう。
デュースが続いているがこのゲームは最終的にはこちらがとる、
マッチポイントを握られてから挽回して勝つんだよ。
そんなことを知っていたら面白さは半減か、それ以下でしょう。
つまり、この面白さは遊園地のジェットコースターパターン。
では、大逆転をした試合はどうでしょうか。
これもきっと同じとが言えると思います。
さて、ならば面白い試合とはどういう試合なのか。
応援している選手の試合というのもありますが、これは例外。
なぜならその人が出ているというだけで、
すでに面白ゲージは半分以上埋まっているからです。
私の考える、最も面白い試合は「2人でテニスをしている試合」。
逆を言えば1人でしている試合はつまらないということです。
そして、悲しいことにこういう試合は少なくないと思います。
では「1人でテニスをする」とはどういうことでしょう。
端的に言えば、片方のプレーで勝敗が決まっている試合です。
そちらが成功すれば得点、失敗すれば失点というパターン。
どちらかが攻めでどちらかが守りとはまた違うのですが、
でもニュアンスとしては遠からず近からずということです。
そんな試合はまるで壁打ちをしているようすら思えます。
俗にいう自分のテニスをした試合というのかもしれません。
皆さんにとって面白い試合というのは何でしょうか。
たとえ、それが初戦であろうが面白い試合というものはあるし、
逆にいくら決勝戦でもどうにも飽きてしまう試合もあります。
では、一体どういう基準で人はその試合を面白いと感じるのか。
今日はそれについて少し考えてみたいと思います。
まず、面白いとはどういうことなのか。
第一に、この点において大きな個人差が生じてくることでしょう。
今回は、何度でも観たいと思える試合ということにしましょう。
そう言われて思いつくのはどのような試合でしょう。
競った試合でしょうか、それとも大逆転した試合でしょうか。
一般的に競った試合というのは面白いと感じると思います。
デュースの連続、サービスキープ、フルセット、タイブレーク・・・
しかし、この面白さは最初だからこそ感じるものだと思います。
確かに競った試合というのはお互いにいいプレーが続いていて、
あるいは驚くようなショットが観られるのは事実だと思います。
ただ、もしその試合の結果を知っているとしたらどうでしょう。
デュースが続いているがこのゲームは最終的にはこちらがとる、
マッチポイントを握られてから挽回して勝つんだよ。
そんなことを知っていたら面白さは半減か、それ以下でしょう。
つまり、この面白さは遊園地のジェットコースターパターン。
では、大逆転をした試合はどうでしょうか。
これもきっと同じとが言えると思います。
さて、ならば面白い試合とはどういう試合なのか。
応援している選手の試合というのもありますが、これは例外。
なぜならその人が出ているというだけで、
すでに面白ゲージは半分以上埋まっているからです。
私の考える、最も面白い試合は「2人でテニスをしている試合」。
逆を言えば1人でしている試合はつまらないということです。
そして、悲しいことにこういう試合は少なくないと思います。
では「1人でテニスをする」とはどういうことでしょう。
端的に言えば、片方のプレーで勝敗が決まっている試合です。
そちらが成功すれば得点、失敗すれば失点というパターン。
どちらかが攻めでどちらかが守りとはまた違うのですが、
でもニュアンスとしては遠からず近からずということです。
そんな試合はまるで壁打ちをしているようすら思えます。
俗にいう自分のテニスをした試合というのかもしれません。
皆さんにとって面白い試合というのは何でしょうか。